令和5年11月7日(火)、山梨県笛吹市石和西小学校で、5年生49名、6年生57名に、「いのちの授業」を行ってきました。
「学び合い、励まし合い、高め合う 児童の育成」を学校教育目標とし、「生きる力」を育む学校教育を推進するために、特色のある教育課程を編成し、「確かな学力育成」「豊かな心の教育」「健やかな体の育成」の知・徳・体のバランスの取れた児童の育成を目指している学校でした。
今回は、学校側からのご推薦を頂き、『いのちの授業』を行うこととなりました。
また、山梨放送様から、学校側にご要請をいただき、授業の取材を受けることになりました。収録された授業風景とインタビューを含め、11月14日に、YBSワイドニュースで放送されました。
マスコミの取材ということで、授業も、緊張感ある展開となりましたが、いつも通り、教え、伝え、理解させようとする授業ではなく、生徒さん方の心の中から命の思いを引き出す場を基軸に、生徒さん方が「命」の事例に触れ、自ら考え、気づき、発言する場を基本に置く授業として進めました。
以下、生徒さん方が自ら考え、気づいたことに関して、生徒さん方から頂いた手紙を通して、ご覧ください。
(授業写真を含め、掲載につきましては学校側のご了解を頂いております)
『僕は、こう思いました。自分の事より家族とか世界の人とか考えられるような人に、僕も頑張ってなりたいです』
『一人一つしかない命が亡くなったら、もう生きられないから、この世で一番大切だと思った。病気じゃなくても支えられていないと生きられないから、支えて支えられることが大切だと思った』
『もし、いじめがあったら、その人を守りたい。いのちの授業を聞けて良かった』
『ガンに罹った瞳さんもつらいはずなのに、お母さんに対して、「大丈夫」、「お母さんがガンにならなくてよかった」など、優しい言葉を言っていて、本当に優しい子なんだなと感じ、今度から皆に対して、優しい言葉で話そうと思った』
『命の授業の時とても感動して、自分は命を支えながら、いろんな道、楽しい未来、自分では思わない出来事をこれから自分の力で支えて生きて、歩みたいなと思いました』
『いのちはお母さん、お父さんからもらった大切なものです。自分にもらえる命はたった一つです。一つ失ったら、もう戻せないし、もらえない、という命の大切さを知りました』
『ただ、命は大切だというだけではなく、実例に、命の価値を自分から気づかせてくれた。命の大切さ、その理由をもっと知りたい。楽しくても楽しくなくても、生きていることが幸せだと思った』
『私がいのちの授業で学んだことは、命の大切さでした。生きたくても生きられない人が世界にたくさん いて、逆に生きることが嫌いな人だっている。でも、自分の意志で命を落としてはいけない。いくら生きることがどれだけ辛くても、生きていることに誇りを持たなければいけないと思った。』
『去年、私はいじめを受けた少女の話を聞きました。その話には命はとっても大切だということを何度も聞きました。なので、今回も、「どうせ同じだ」と思いながら眠たそうに聞いていました。でも、ある言葉を聞いたときに、目が覚めました。それは、「人を殺した人、戦争をしている人などに私たちの気持ちを知ってほしい」ということです。人を殺した人は、きっと命というものが分かっていないのではないでしょうか』
『おじいちゃんもがんで亡くなりました。おじいちゃんには夢がありました。私と一緒に自転車でお出かけするのが夢でした。私は夢をかなえてあげたくて、近所に住むお姉ちゃん達と毎日にように練習していました。でも、私がのれたのはおじいちゃんが亡くなってからです。しかし、後悔はしていません。おじいちゃんのおかげで自転車にのれたからです。今回のお話のおかげで、生きていく意味を知りました』
『私は、いのちの授業をするまでは、あまり命について真剣考えたことはなかったです。生きていることが当たり前だと思っていましたが、いのちの授業で出てきたひとみさんが言っていたように、すぐに戦争をしていたり、いじめを苦に自殺している人がいると、私たちが生きているのは当たり前ではなく、親や神様がくれた幸せだなぁと感じました』
『僕が、今ここまで育っているのは、たくさんの人の支えがあったから、ということを教えてもらいました。毎日当たり前のように過ごしていたけど、みんなに感謝しなきゃいけないなーと思いました』
『人は、みんなが命なんて当たり前にあると思って生きています。実際に、僕も当たり前のように思って生きていました。ですが、命の授業を受けて見て、毎日を五体満足に元気に過ごすのは、奇跡の連続だということが、あらためて思い知らされました。
『私がこうやって、一分一秒生きて行く中で、世界には、「生きたくても生きられない」、こういう子がいるんだという現実に悲しみました。私たちは、少しの力にしかなれないと思うけど、その子たちの分まで精いっぱい生きます。
『いのちの授業では、命の大切さの「意味」を「みんな」で考えたり、「みんな」が個人の意見を一つ一つ持っていて、それをみんなが言ったり、聞いたり、みんなの意見を尊重するやり方で、とても参加している感じがして、命の世界に入り込んだ感じで、時間がとてもあっという間に感じました。
『生きていることが当たり前じゃない子どもたちのことを知れたし、今生きていることが、かけがえのない時間ということが分かりました』
『命の大切さは教わるのではなく、自分で気づくことの方が大事だと思いました』
『病気で今苦しんでいる人や、亡くなってしまった人がいるから、当たり前のように、この幸せがあると思ってはいけないということや、一日一日を大切に過ごそうと思いました』
『僕は、いのちの授業を受けて、あまり普段の日常では思わないけど、とっても命は大切だと思いました。なぜかというと、いつもお母さんとけんかするときがあるので、一生懸命ぼくのことを産んでくれたと思うと、いつもけんかばかりしていて、「めいわく」をかけているなぁと思い、自分のために頑張ってくれたから、何か逆に助けないといけないなぁと思ったからです』
『親からもらった命、それをむだにしないように、今病気の人たちのことを思い、一日一日を過ごしていたいと思います』
『いのちの授業を受けて、命はなぜ大事なのかを考えさせられました。私もしっかり生きられるように、頑張ろうと思いました』
生徒さん方から届いた手紙のほんの一部ですが、「いのちの授業」を通して感じた心の思いを綴ってくれました。マスコミの取材の中、緊張感を持ちながらも、命がただ大切だということだけではなく、命の本質に触れる思いも自ら気づき、届けてくれました。
マスコミの取材をご了解いただいた学校様には心からお礼を申しあげたいと思います。生徒さん方からの素晴らしい手紙に触れさせて頂いたことに感謝申し上げます。
また、山梨放送様には、貴重なお時間を割いて頂き、放送していただきましたことに感謝申し上げます。
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