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いのちの教室への思い

 私たちは、社会生活を営む上で、今、多くの課題に直面しております。自然環境破壊、社会インフラの保障、格差拡大等の社会不安、更には、虐待、DV、ネグレクト等の命を軽視する社会的事象が多々、顕在化しております。他にも多くの社会的課題が内在する現状に在って、私たちはこれらの課題と、どう向き合って行かなければならないのでしょうか。今、我々一人一人の課題として、共有することを求められていることを強く思います。そして、私は思います。「何故、様々な社会的課題が創出されてくるのか」と。私はこの思いに一定の答えを見出したいと思い、長い間、人の心、そして命に対して、身近に触れる活動に携わってきました。

 

 そして、私なりの結論を導き出すことができました。それは、様々な社会的課題を創出しているのは、人間の”心の在り方”だということです。当たり前のような思いかもしれませんが、しかし、”心の在り方”が全ての事象を創出する真の要因だと受け止めた時、社会を変革する術に気づくことができるのではないでしょうか。私たちは、今、「心」を変える勇気を持つことが強く求められる環境に置かれていることを認識せざるを得ません。「心」という言葉をより具体性を持った別の言葉で言い表すと、「意識」という言葉が浮かんできます。「心」を変え、「意識」を変える可能性を内在した社会を創出することで、社会の根幹から変革が始まります。これを、より具現化するために必要となるのは、正に、「教育」であると受け止めております。私は、よりよい社会実現のための、言い換えれば全ての人が生きる意味に触れ、生きる幸せを感じる「教育」が社会の全ての根幹にあることで、「真の幸福を見出すことができる社会が創出される」、と捉えさせて頂いております。そして、更に大切なことは、「教育」の根幹に、環境、人権、貧困、等々の社会的課題に共通して内在する「命」を置くということです。「命」を視点とした教育が施され、その結果、「心」そして、「意識」の在り方が変化していくと、私は心から信じております。

 このような思いに至った背景には、私の生い立ちが深く関わっているように思います。私が10代の頃、大切な家族を3人続けて亡くしております。家族の死と向き合う体験をしているのです。人の死がどのような意味を持つのか、生きることと重ね合わせ、子どもながらその意味に触れることが出来ました。又、家族には、目に障害を持った祖父(私が幼い頃から、私が目の代わりになって連れ添っていた)、又、認知症を患った曽祖父(母親がいつも介護を行っていた)がいたことで、弱い立場に立つ人を支える心に目覚めさせてもらったことが大きな要因となっているように思います。

 又、企業に在籍している時に、心身の悩みを抱えている社員と長い期間の触れ合いを通じて、人の様々な心の在り方に振れながら、私自身が出来る範囲で支える活動を行ってきたことも、一つの要因となっております。

 私は上述しました様に、長い間、人の心、そして命に、身近に触れる活動に携わってきました。その経験から、これらのことに気づかせて頂いたのであります。正に、”心の宝物”を多くの方との出会いから頂いてきた思いです。このような思いに触れたことから、私自身の「心」、そして「意識」が変化し、醸成され、「いのちの授業」が生まれてきたのです。

私が、「いのちの授業」を実践する中で、8万人を超える子ども達、そして、全国約4万人の子ども達からの手紙から気づかせて頂いた、最も大切な「命」への思いを下記に記します。

 

<子ども達からの学び>

 「いのちの授業」を立ち上げた当初は、「命」の大切さを理解してもらおうと、こちらの思いを一方向的に、又、一貫して言葉を主体に伝えておりました。一方的な講演形式で行っていたのです。その中で、授業を受けた子ども達から手紙を頂いておりましたが、殆どの子ども達が、『「いのちの受業」を受けて、改めて「命」の大切さが分かった』と、一律的な思いを綴っておりました。個々の思いを深く綴った手紙が殆どありませんでした。

 

 この時、子ども達から大切な気づきを頂きました。それは、一方的な講演形式で、「命」を教え、言葉で伝え、そして、理解させようとする授業を行っていたことで、子ども達の心の中に、こちらの思いが届いていなかったと言うことです。更に次の様な気づきを持つことができたのです。恐らく、多くの人たちは、子ども達が命と触れる体験を殆どしていないからという理由で、子ども達は命については何も分かっていないだろう、実体験も少ないので、命については感じているものは少ないだろうと、受け止めているのではないでしょうか。しかし、授業の中で、低学年の子ども達に、『命とは何だと思いますか』、『命はなぜ大切なのですか』と問いかけると、大人も想像できないほどの命への思い(全国の小学一年生からは、”かけがえのないもの”、”心”、”絆”、”僕は生きる意味が分かった。本気で生きること”{これに付きましては、授業が終わった後、これを読んで下さいと、手紙に書いて私のところに持って来て下さったものです。関東の小学校です。これには私自身が心を大きく揺さぶられました}等。小学二年生からは、”感謝”、”勇気”、”愛”、”希望” 等)が返ってくるのです。勿論このように答えてきた子ども達は、一部の子ども達であることは間違いありません。しかし、他の子ども達に、この言葉を知っていますか?と聞くと、多くの子ども達が、『その言葉は知っているよ、意味も大体分かるよ』と答えてきたのです。全国の数多くの学校での体験です。私は、この時、全国の子ども達から大きな気付きを頂いたのです。それは、「子ども達が、命に関しては完璧な存在(既に子ども達は、幼い時から命へのそれぞれの貴重な思いを有しているということ)であることを受け止め、本気で向き合えば、必ず心の中からそれぞれの思いを自ら引き出してくれる。大切なのは、教え、理解させるのではなく、子ども達のそれぞれの「命」への思いを受け止めること、子ども達の心の中から引き出す場を提供すること、そして、講師という立場ではなく、子ども達の幸せを願う一人の人間として、「本気」で語ること」というものでした。

 

 だからこそ、この授業には型通りのマニュアルはありません。更に、子ども達と触れ合うたびに、子ども達からの気づきを授業の中に浸潤させることで、授業そのものが成長していく、正に“子ども達から学ぶ授業”、そういう次元で考えないと、子ども達の心の中に入っていく授業にはならないと認識させて頂きました。この思いを、次の様に表現させて頂きます。

私が気付かせて頂いた宝物であります。

 

それは、

       ”命は、

         知識として教えるものではなく(知識から、知恵に)、

             言葉のみで伝えるものでもなく(言葉のみから、心の触れ合いに)、

                  そして、頭で理解させようとするものでもない(理解から、自らの気付きに)“

ということであります。

 

 語り部の一方向的な話では、上述した”三つの大切な思い”が消えてしまいます。その意味で、子ども達の心の中から引き出していく”命”、これを大切にする場を提供することに思いを注いでおります。その意味では授業ではなく、子ども達に参画して頂き、対話を中心とし、一緒に創造していく場であり、自ら考え、気づき、発言していく場であります。

詳細につきましては、「いのちの授業・メッセージ」のページでご覧ください。

 

上述した意識を持ちつつ実施した、いのちの授業に触れた子ども達からの手紙の一例(平成30年4月1日~)を以下、記載いたします。

どうぞ、ご覧ください。

 
                  【子ども達からの手紙】
                     (手紙の掲載については学校側及び実施機関のご了解を頂いております)

  *当授業の根幹である、

     「命は知識として教えるものではない、言葉のみで伝えるものではない、頭で理解させようとするものではない」

   に関して、思いを綴った手紙が全国の数多くの子ども達から頂いております。



・授業の初めに、先生が、「命は教えるものではなく、伝えるものでもなく、気づくもの」だと言った時、僕は少し、びっくりしました。なぜなら、今までの命の授業では、パネルなどを使って、命の大切さ、命のすごさなどを、「教える」授業だったからです。僕は、前まで、命とは何なのか、なぜ大切なのか、よくわかりませんでした。でも、この「教えない、伝えない」の授業で、少し命について分かったと思います。

・「命の授業」を聞いて、僕たちが、当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではないという事に気づきました。世界には病気と闘っている人がたくさんいるので、僕はこれまで、当たり前にやっていたことに対する考えが変わりました。

・「どんな人間でも生きる価値のない人間はいない」、私はその言葉が胸に刺さりました。朗読、音読、思考による「いのちの授業」に、私はとても感動しました。生徒たちに考えさせるという今回の授業はとても良かったです。人生の長い長い道のりを乗り越えるためには、強いハートが必要です。そのハート(いのち)を強くしてくださる授業でした。これからは、親や神に感謝しながら人生を歩んでいきます。

・私は、最初、命について、「教えられる」、「伝えられる」ものだと思っていました。しかし、本当は「自分で気づく」ことが、命について知る一番良い方法だと分かりました。 

​・命の授業を受けて、僕が気づいたことは、誰にでも、命の大切さは、伝えたり、教えたりしなくても、最初から分かっているという事です。その忘れていた命の大切さを思い出させてくれて、ありがとうございました。

・小学校からよく言われていたこと、話し合いをしたことだったけど、今回はいつもと違いました。一つしかない命、大切にしないと、といつも言われてきましたが、それだけじゃないことが分かりました。命はこの一瞬の全ての時間であり、「生きている」ということなんだと思いました。

・僕は、授業のやり方がすごいと思いました。ただ、一人でずっと話しているんじゃなくて、いろんな場面で生徒に意見を聞いたりしてたから、最後までみんなしっかり聞けたんだと思いました。普通は2時間も話を聞いていたら、しっかり聞いているつもりでも、一日後には半分くらい忘れているのではないでしょうか。でも、全然忘れていないです。

・お話を聞かせて頂いて、「いのちとは教えるものではなく、伝えるものでも、理解させようとするものでもない」というフレーズが一番心に残りました。今まで聞いた命の話は、「命とは大切なものだから、大事にしないといけない」ということを教えるものばかりでしたが、授業でのお話はそうではなくて、そんな言葉は使わずに、命の大切さを感じられるものだったと思います。

・私が知っている授業は、一方的に話して、間がなくて途中から何を伝えたいのか分らなくなってしまうものでしたが、今回は、「私が」自分の命の既に持っていた思いを引き出すというもので、参加できるものだったので、自分も「一緒に」考えることができました。

・生徒が協力して、全員が参加するというのは、すごく良かったと思います。初めはちょっとわかりませんでしたが、だんだんと理解していきました。普通では教えてくれないことや、命の大切さを教えていないのに、充分わかった気がします。

・今まで、何回も人権の授業を受けてきて、何か自分の中で、納得できなかったりすることばかりでした。「命は親からもらったもの」、「かけがえのないもの」、そればかりだったからです。正直それに辟易して、考えることを放棄していました。自分から動くということもしていませんでした。今日の授業で、誰かからではなく、自分から、ということがとても印象に残りました。今まで私に出来なかったこと、しようとせず逃げていたこと、そのものだったからです。でも、今日それを知ることができたから、変わりたいです。変われるように努力します。

・この講話を通して、私の考える命の大切さというものは、とても軽かったという事を気づかされました。大切なのはわかっていても、なぜ大切なのか分かっていなければ意味がないと思います。だから私はたった一つの命でも、それは一人だけの命ではないことを忘れず、自分の命も、自分以外の命も大切にしていきたいと思いました。

・生徒の意見を尊重し、生徒が参画できる授業だった。正直、今まで受けてきた命の授業は、先生が、命は大切だと言い続けて終わるような、一方的なものばかりで、今回もまた、一方的で、ひたすら先生の考えを聞くというような授業なのかと思っていました。しかし、実際は全然違って、私たちの意見を尊重してくれたり、生徒が積極的に参加できるような形式だったので、色々な事を考えながら、授業を聞くことができました。

・命の大切さなんて、皆分かっていることではないのか、私はそう思っていました。先生の授業では、今までの講演会と違い、先生の考えていること、思っていることを私たちに伝えるのではなく、先生が今までやってきたことを聞き、そこから私たちが何かを発見するというものでした。だから自分なりに命について考えることから始めました。 

・最近では、命について知る機会がとても多くなり、私が小学校の時にも、似たような授業があり、命の大切さについて知ることができました。だけど、今思えば、命の大切さだけを知っただけで終わっていて、命の重みについて知ろうとしていなかったと思いました。特にそう思ったのは、世代のところで、自分が死ぬだけで、その後に生まれてくる命もなくなってしまうという話を聞いて、初めて命の重みについて考えさせられました。

 

・私は、これまでいくつもの人権やいじめ。差別についての話を聞き学んできました。どれも一方的に、「教えるので理解しなさい」というような内容で、何か違う気がする、と思っていました。しかし、今日の話は、頭で考えず、心で聴く一人ひとりが自分の思いを持っているから、教えられるものではないと言うものだったので、受け入れやすく、最後まで心で考えながら聞くことが出来ました。私は、本来の人権学習はこうあるべきだと感じました。

・若尾さんが仰っていた、命の捉え方は人の数だけあるという言葉が印象的でした。講師の方は、自分の意見を主張してくるものだと思っていました。やっぱり人それぞれ、生き甲斐は違うだろうし、命の捉え方も違うから、意見を主張する講義ではなく、自分たちで積極的に考えていくスタイルがとても良かったです。この活動を続けていって下さい。わたしも何かお手伝いできることがあれば、してみたいです。

 

・小学校・中学校と、今回のような命についての授業をすることは何回かありました。ですが、今までのこの様な授業は「教える」ということが普通でした。しかし、今回のこの授業では、「教える」のではなく、「考える』という事を第一にしたお話だったので、改めて、命とは何なのか、なぜ命を大切にするのかなど、当たり前の事なのに、普段は考えることの無いことを考える機会になりました。

 

・今日、若尾さんの話を聞いて、昔、小学校や中学校であった人権集会とは違うなと思いました。「命」は教えるものでもなく、伝えるものでも、理解するものでもないということは分かる気がします。今までの人権集会などでは結論から行くと、命は大切だとか、いじめはダメだとか、そういう内容を聞いて終わりでしたが、今回の集会では、そこから自分がどう感じて、考えるかだったと思います。今までと違い、一歩上の事を考える機会になりました。

 

・今まで、命とは大切でかけがえのないもので、両親や神様からのプレゼントなのだ、と教えられ、又、それが当たり前のことだと思い、命について深く考えたことはありませんでした。小学校、中学校と命についての授業は何度もありました。それらの授業はすべて「命は大切」だと教えられるだけの、同じ内容の授業ばかりでした。ですが、若尾さんの授業の初めに「命とは教えられるものではない」と、仰っていてたので、「どういう事なんだ」と思いました。今まで、当たり前のように伝えられ、教えられてきた命の大切さ、尊さは何だったのかと、私の今までの経験を疑いました。そして、一度、今まで教えられてきた命についての知識を忘れて、今回の授業で、命の大切さについて手に入れようと考えました。気が付いたことは、今まで心の底から「命が大切だ」と思った事がなかったことです。私は、大切、それは当たり前、普通の事だと思っていましたが、今回、心の底から命が大切だと思いました。

 

・今回は、このような素晴らしい講義を聞かせて下さり、ありがとうございました。今まで、沢山の講義を受講して来ましたが、「一緒に授業を作っていく」と言う講義の内容は初めてだったので、新鮮に思ったのと同時に、私たちは、この講義をただ受け身で聴くのではなく、若尾さんと一緒に、皆で考えて、「参加」をしていかなければならないのだなと思い、それほどまでに、命を学ぶという事は大切なことなのだと感じました。

 

・今まで、小学校や中学校であった命についての講座、講話は自分で目で見て考えたり、思ったりする事ではなく、命とはどういうものか、何で大切なのかを私たちが理解できるように、その講話をしてくれる先生がお話をするというものが殆どだったので、若尾先生がしてくれたお話は、新しい形の講座のやり方だったので、とても新鮮なものでした。みんながみんな性格も違うわけですし、性別も年齢も、価値観も全て異なっているのだから、「命」」についても、それぞれが思う事は同じではないことがあることは当然ではないのかなと、改めて考えさせられました。

 

・「命の授業」を受けると聞いて、又「命は大切だよ、一つしかなんだよ」と毎度聞くようなフレーズを今回もまた聞かされるのだろうと、寝てしまう覚悟をしていた。しかし、話を聞いているうちに、若尾先生の考え方に興味がわいてきて寝ることもなかった。この講座は、「教えない、伝えない、理解させようとしない」という事を中心に行われるという事なので、「教わらない、伝えられない、理解しない」ように、自分で「命」とはどういったものなのかを見つけられるように、心がけて受講した。

 

・「教えようとしない、伝えようとしない、理解させようとしない」。この言葉を若尾先生の口から聞いた時、”この授業はしっかり聞いて、自分で考えなければ意味がなくなってしまう”と瞬時に思いました。今までも何度か、命についての講演を受けたことはありますが、それらはどれも「命を大事にしなさい」や「命は一つしかない」など、当たり前のことを私たちの身近にない病気の子供の話を例として、私たちに伝え、理解させようとするものばかりでした。その為、私は講演を聞きながら自分で考えようとは思わないし、内容も少し聞き流してしまうことがありました。

 

・若尾さんが、私たちに問いかける度に、私たちはその問題について、”自分で考える”ことが出来る。自分で考え、それを発表すると、若尾さんはそのすべてを否定せずに返事をしてくれましたね。それを繰り返しているうちに、最初は 何回も何回も質問されて、面倒だな。。。と、正直思っていた私ですが、(すみません)、「生命について〇×はない」という事。「自分で考えることが大切」、「生命を大切にすることが、それこそが大切なんだ」という事。「ありがとうの感謝の気持ちを持つ事」。など、多くのことに気づきました。自分で考えなければ、いくら良いお話だったとしても、何も心に入ってこないものなんだな、と思います。

 

・若尾先生は命は”教えるものではなく”、”伝えるものでもない”、”理解させようとするものでもない”と言いました。私の価値については教えられ、理解するものだと思っていたので、若尾先生の考え方がとても新鮮なものに感じられました。確かに、辞書でもなぜ命は大切にしないといけないのかが示されていません。だから、命とは教えられ、 学ぶものではなく、自分で見分し、考えることが大切だと、私も思います。

 

・『いのちの授業』と聞いて、小学校の道徳のような命について教わる授業だと思っていました。けれど、今回の若尾先生の「いのちの授業」は、ひとり一人が自ら命について考えさせられるような、そんな授業でした。私はこの授業を通して、命の感じ方は、人それぞれ違うという事に気づかされました。大切なのは、自分で命と向き合い、考えることなんだなと思いました。

 

・この授業で分かったことの一つは、「命とは人から教えてもらう事ではなく、自分自身で考えること」という事です。 しっかり考えれば、自分の命のことだから、自分自身で考えることは当然のことなのですが、私は命について、受け身な姿勢を取っていたのです。「いずれ誰かから教わることなのだろう」と考えていました。しかし、若尾先生の話を聞いて変わりました。今後は若尾先生から考えさせられたことを基にして、自分なりの「命とは何か」をじっくり考えていきたいと思います。

 

・私は今まで習ってきた命の授業では、いのちは教えられるものではないという考えをしたことがありませんでした。 自分が考える命と他の子が考える命が違うと、自分の考えを捨て、他の人達の答えや授業でまとめた答えが正しいと思っていました。でも、今日の若尾さんの講演を聞いて、人それぞれ命に対して思う気持ちは違い、間違いはないと分かりました。「命とは何か」、頭ではなく、心で考える。問われてぱっと浮かんだことが、自分が思う命だと分かれてよかったです。

 

・若尾さんが「なぜ命は大切なのか」と聞かれた時、私は幾つか思ったことがありました。それは、「お母さんが苦しみながら一生懸命生んでくれた、たった一つのかけがえのない大切なもの。」、「親から授かった大切な命」などがあり、発表者の意見とは違いましたが、全てあっていると思いました。若尾さんが仰っていたように、「命とは教えるものでもなく、伝えるものでもなく、理解させるものでもない」というのを聞いて、本当にそうだと思いました。

 

・今まで、命って何?って聞かれたら、一つしかないもの、二度と戻らないものと考えていた。そして誰もがそうであると思っていたけど、そうではなく、皆それぞれ意見は違った。”自ら気付くこと”それが命であるのだと気づいた。授業の初めに、「この授業は学ぶものではない、伝えられるものでもない、理解するものでもない、これは自分たちで考えていくものである」と言われたことが、ようやく分かったような気がする。

 

・『いのちの授業』と言うものは、正直に、私の根本的な概念を変えてくれた絶好のチャンスだと感じました。そして、 自分の殻を破れた最高に嬉しい時間でもありました。「命」があることにより、人生を豊かに過ごすものもいる。しかし、自分から逃げる者もいる。人は皆違うから、使い方も考え方も何もかも違う。私がこの授業を受けて、一番最初に感じたことです。今の自分がいることに感謝したいです。今、一度しかない人生、どう生きるかの選択の権利は自分にしか与えられていない。だからこそ、この時間を大切にしていくことを決意しました。

・今まで受けてきた命についての授業は、先生が命は大切だと言い続けて終わるような、一方的なものばかりで、今回もまた一方的で、ひたすら先生の考えを聞くというような講演なのかと思っていました。しかし、実際は全然違って、私たちの意見を尊重してくれたり、生徒が積極的に参加できるような形式だったので、色々なことを考えながら、授業を聞くことが出来ました。

 

・何度か人権学習として学校外から講演を開いてもらう機会はありましたが、教えるのではない、という考え方でお話を受けたことは初めてでした。とても新鮮な考え方で驚きましたが、よくよく考えてみると、納得できる意見だと思いました。

 

・本来の人権学習は、半強制的に押し付けるものではなく、個人の意見を尊重し、人と違う事が当たり前だと言う思いを持つことが出来る環境、内容であるべきだと、改めて感じました。

 

・若尾さんが仰っていた、命の捉え方は人の数だけあるという言葉が印象的でした。講師の方は、自分の意見を主張してくるものだと思っていました。やっぱり人それぞれ、生き甲斐は違うだろうし、命の捉え方も違うから、意見を主張する講義ではなく、自分たちで積極的に考えていくスタイルがとても良かったです。この活動を続けていって下さい。わたしも何かお手伝いできることがあれば、してみたいです。

・今までの「命の授業」と言うもののイメージは、ただ講師の先生が生徒に教えつけるものだった。しかし、この「命の授業」は、ただ教えられているとは違って、自分で考えながら学ぶものだった。生徒だけでなく、先生方も前に出て、授業に楽しく参加できた。座って話を聞いているだけより、自分自身も触れて参加することで、とても親近感がわいたような気がする。

 

・最初に「いのちの授業」と聞いた時、又、長い話を聞かされるんだな、と思っていた。でも、授業が始まり「講演」の形は止めている、という先生の言葉を聞き、どういう事だろうと興味を持った。その言葉通り、先生は自分の考えや意見を押し付けることはせず、皆が自分自身で考えるような授業をして下さった。

・授業が始まる前は、「どうせ、命は大切に…等、当たり前な事を植え付けるであろう」と思っていました。しかし、終わった後は、沢山の勇気とこれからの希望で胸がいっぱいになっていました。これを機に、生命についてしっかり、考えようと思えました。

 

・私は今まで、「いのちというのは・・・」、「生きると言う事はこういう事だ」と言うような、話をしてくださる人の「意見」を聞くような授業しか受けたことがありませんでした。勿論それが悪い事だとは思いません。他の人の考えに触れる事も大切です。けれど、やっぱり、人の命、生きる事について自分たちで考える授業と言うのは、とても新鮮でした。

 

・今まで聞いてきた授業と違い、聞くだけではなく、それぞれがその時その時に考えて、自分の考えを持った上で他の人の意見が聞ける授業で、より命について深く考えられて、とても良かったです。

 

・今回のこの授業では、「教える」のではなく、「考える』という事を第一にしたお話だったので、改めて、命とは何なのか、なぜ命を大切にするのかなど、当たり前の事なのに、普段は考えることの無いことを考える機会になりました。

 

・今回も、今までの講演と同様な形で、「命」について説明されるものだとばかり思っていた。しかし、それは違った。私たちも一緒に考え、参加する授業だったのだ。私は命に対して、絶対に自分の手で失くしてはいけないものだと考えた。なかなか、答えを言葉にするのは難しかったのだが、今回の授業がそのもやもやした答えを代弁してくれたように感じた。

 

・今まで、何回かは今日の様な人権講演会を開いたことはありました。その中でも、今日の授業は自分としては今までの中で一番、しっかり聞くことが出来、一番印象に残りました。お話を聞いている中で、「自分だったらどうしただろう」、「自分にそんなことが出来たのか」など、しっかり自分に当てはめることができたからだと思います。

・私は今回。この授業を受けることが出来てとても良かったと思った。何回も、「命について」の講演会を受けて来たが、今までの中で一番心が動いたものだった。今までの講演会とは違って、自分も参加しながらだったから、とても有意義な時間を過ごすことが出来た。自分だったらどうするのかなど、しっかり考えることが出来た。

 

・若尾久先生の授業の教え方が普通とは少し違う所です。若尾久先生は授業が始まると、私たちに、「命の授業とは教えることではない」と仰っていました。今まで私たちは沢山の方をお招きし、授業を受けてきました。それはすべて授業を”受ける”と言う私たち生徒が受け身の体制で開かれていました。しかし、今回の授業は”受ける”ではなく”自分たちで考える”ことが一つの目的でした。こんな考え方があるのか、思わず口を開くほどの考え方でした。しかし、そんな斬新な授業であるからこそ、700校以上もの学校で、授業を行っているのだと感じました。

 

・講演会となると、自分の興味のある事は自分に取り入れやすく、興味の低いものは、なかなか自分に取り入れにくいですが、若尾様の授業は、私たち、生徒が主体になって話をして下さるため、すごく自分に取り入れやすく、命について考えることが出来ました。

 

・今回、この「命の授業」を受けるにあたって、これまでに僕は命に関する講演を何度か受けていて、また同じような内容なのかなと思っていました。しかし、先生の、「伝えない」や「理解させようとはしない」などと言っていて、いつもとは少し違うのかなと驚きました。参加している僕たち生徒と一緒に作っていくような形で、これは寝る人が少ないだろうなと納得しました。話の内容も分かり易かったです。又、他の生徒の意見などが紹介されていて、自分の考え方と比較することが出来ました。  

 

・一番心に残っているのは、いのちの授業は教えることではない、と言う言葉です。私もとてもそう思いました。人の意見を押し付けるのではなく、考えるきっかけを与えて、自分たちで考えさせる若尾先生の考え方は素晴らしいと思いました。そして、私たちに考える機会をくださって本当に感謝しています。

 

・人権や命の話というのは。堅苦しくて、あまり好きではありませんでした。しかし、若尾さんの話は実際に聞いたことを伝えて頂いたので、色々考えながら聞くことが出来ました。なぜ命や人権など、道徳の話が苦手かというと、病気やいじめられたことがある人、他にも困っている人たちの話をされます。ですが、なんとなく、その人たちの価値観や考え方、生き方を押し付けられているような気がするからです。勿論、辛くて苦しいのは分かりますし、考え方が素晴らしいなと思います。しかし、その苦しみを本当に理解し、同じ考え方、生き方をするのは無理な事だからです。病気になったことがないのに、病気で苦しんでいる人にむかって、「分かるよ。苦しいよね。でも病気なんかに負けないで頑張ってね」などとはどうしても言えないのです。だから若尾さんの講話は聴きやすく、とても興味を引くものでした。同じ考え、生き方をしろとは言わない。命は伝えるものではなく、自分で考えるものだと言ってくださったのが、すごく印象的でした。

 

・私は正直こういう授業は嫌いです。毎回結局押しつけがましいからです。私は日々、どう生きるかよりも、どう死ぬかを考えてしまいます。今までの人権学習の中で、一番実のある、未来のある授業だったと思います。私の通っていた小学校や、中学校にも行って頂きたいです。本日は本当にありがとうございました。

 

・今日の授業を聞いて、生き方に正しいとか間違っているとかないと思いました。人は一人ひとりそれぞれ違う生き方があるし考え方がある。それを相手の人だったり廻りの人が否定してしまうと、その人は全てを否定された気持ちになるから、自分が他の人と話すときは、その時の簡単な感情で話すのではなく、相手の気持ちを考えて話そうと思いました。

 

・命とは何か、命は何故大切なのかを考えていたら、当たり前だけど、これが正解というものはないなと気づいたし、成長していくにつれて純粋に答えられなくなっているなとも感じました。人によって異なる考え方があるので、いろんな人の意見を聞いてみたいと感じました。

・若尾さんは、「命は教えるものではない、伝えさせるものではない、理解させようとするものではない」と話した。私は、「命の大切さ」について講演して頂くのだと思っていたので、意味を理解するのが難しかった。が、次の質問で分かった。「命は何故、大切にしなければならないのか?」と問いかけられた時、私は一つしかないものだからと思った。しかし、周りの同級生は「自分のものだから」、「神様にもらったものだから」と違う言葉が次々と出ていいた。命は大切というこことは変わらないのに・・。もし、命は「一つしかないものだから大切だ」と教えられていたら、どうだろう。私は納得いくが、中には疑問を持つものもいるだろう。数学の様に、答えは一つではないという事が命というものなのだと気が付いた。

 

・今回、いのちの授業を受けて、自分なりに命の事を考えることが出来ました。授業の最初に命のことについて、 「伝えない、教えない、理解してもらおうとも思わない。」という講師の方の言葉を聞いて、ではどのような授業をして下さるのかなと思っていました。のちにその疑問は解消されました。講師の方がそのような事を言った理由は、命の大切さは誰もが思う事だが、それが何故、大切だと思うのかというのは、人それぞれ違うからというものでした。確かに、命はこうだから大切だとかを、他人から伝えられたり、教えられたり、理解して欲しいと思われるものではないと思いました。

 

上記の手紙を含め、全国4万人近い子ども達からの手紙から、私は貴重な気づきを頂きました。それは、

 ・子ども達は、年齢に関わらず、命への思い、感性を、それぞれが、それぞれなりに心に内包していること。

 ・子ども達は、命を教えられる場ではなく、自ら考え気づける場を切望していること。

 ・子ども達は、自身の心に内包する命へのそれぞれの素晴らしい思い、感性について、気づいていないこと。

 の3っつの事象です。

 だからこそ、命は教えない、伝えない、理解させようとしないことを根幹に、話し手として、自身の体験を通した価値観を教え伝えるのではなく、命の根幹と触れ合うことが出来る貴重な事例を通して、子ども達自らが考え、気づき、そして子ども達同士で、お互いに共有し合う場の提供に心を注いてきたのです。子ども達の心に内在する命への思い、感性を引き出す授業としてきたのです。

 

 自ら考え、気づき、共有することの意義に触れて、自身の心に内在する命への思い、感性に先ず気づいて頂き、その後、他の人たちの話に触れて命への思いを深めていって欲しい、これを現実化するための授業でもあります。

 自身の心に内在する命への思い、感性に先ず気づき、心から大事にして欲しいということであります。始めから他の人の話に触れてしまうと、子ども達自身が心に内包している命への素晴らしい思い、感性を放り投げ、他の人の命への価値観と自身の思いとを置き換えてしまうということが起きかねないのです。これは子ども達にとって悲しい出来事となります。

 

 全国の子ども達からの手紙には、「どのような立派な話でも、一方向的に話し手の思いを伝え続ける、いわゆる講演については、頭には入るけど、心に入ってこない」という手紙が数多く届いております。その要因についても記載されております。それは、「話し続けられることで、知識として頭の中に記憶させ続けなければならない。だから心に入ってはこない」、「一方向的な講演形式では、話し手が勿論良かれとの思いではあることは受け止めるが、話し手の価値観を結果として押し付けてしまう例もある」というものです。

 

 決して講演形式を否定するものではありません。自身の体験を通して触れた命の思いを、子ども達に伝える場の尊さは理解しております。一方で、全国の多くの子ども達は、上記にお示しした通り、一方向的な講演形式に触れることはできるだけ避けたいと感じ、伝えたいという思いは分かるけど、講演者の思いを押し付けてくるような語りや言葉が感じられる場に触れることは避けたいと思っているのです。上記の手紙から御感じ頂けると思います。

 私自身も、授業を立ち上げた2年間は講演形式で、良かれとの思いで、自身の体験に基づく命への思いについて、教え、伝え、理解してもらおうとしていました。しかし、全国の数多くの子ども達から、「今までもそう思ったが、講演形式はやめて欲しい、頭には入るが、心には入らないし、良かれとの思いは理解できるが、結果として思いを押し付けるような語りに感じられ、避けて欲しい」、「今まで多くの講演に触れてきたが、命は大切という言葉を伝える授業が命の授業と思っていた。なぜ命は大切なのかが問われることはなかった」と言う手紙が届いたのです。この時、私は命の語り手として、子ども達が心から望んでいる授業になっていなかったことに、気付かさせられたのです。そして今の授業、 ”教えない、伝えない、理解させようとしない”、 ”子ども達が既に心に内包している命への素晴らしい思いを引き出してあげる”、命に対する限られた範囲の思いを伝えるのではなく、命の普遍的な意義であり、命の根底にある、『生きる意味、生きる価値、生きる喜び』を、子ども達が ”自ら考え、気づき、発言(共有)する場” として新たに創出することとなったのです。

  正に ”子ども達から学ぶ授業” であり、話し手が主役ではなく、 ”子ども達が主役の授業” なのであります!!

 

 

また、次のような ”命と向き合った手紙” が、全国から数多く届いております。その一部をご紹介いたします。

『家族との嫌な事や友達との嫌な事が重なり、全てが嫌になり、リストカットをしていました。学校でもトイレで手首を切っていました。そんな自分が嫌になり、今でも怖くなってしまいます。でも、「いのちの授業」を聞いて、私が生まれた時に、お父さんやお母さんに生きる希望を与えていたことが分かり、誰しも掛け替えのない存在という事が分かり、ずっと感じていた怖さがなくなりました。“辛いことがあっても自分を大事に思い、生き続ければ、いつかは乗り越えられる”という言葉にすごく心を打たれました。これから先、嫌な事があっても、「私は生きていいんだ」と思い、自分を大切にしていこうと思いました』

 

『最後、感想を言わせてもらったのですが、動揺してしまいました。なので、今言います。私は一 度生まれてこなかった方がいいと思いましたが、今日の授業で決意しました。“死なない”と。今日は本当にありがとうございました』

 

『私は人間の悪いところばかり見て生きてきていました。「この人、生きてる価値ない」とか、平気で最近思ってしまうようになってしまいました。さらに、「私って、何のために生きてるんだろう」って、時々思ってしまいます。でも、このいのちの授業を受けて見て、私より苦しくてつらい病気と闘っている人がいるのに、私は何を考えていたのだろう、と思い直しました。私を変えてくれてありがとうございました』

 

『私は生きることが正直よくわからなくて、毎日ただ単に過ごしていました。たまに周りの環境とか全てが嫌になって、逃げたくなる時も沢山あります。生きるのが辛くなる時があります。でも昨日の話を聞いて、生きることの凄さが分かりました。壁にぶつかってもどんなに辛くても、生きていなきゃダメだって気づかされました。どれだけの奇跡が重なって自分が生まれたんだろうって考えると、この人生、誰にもまねできない唯一無二の、ものすごい生き方をしてやるって思えました』

 

『僕は幼いころから気が弱く、いつもいじめられる側で、自分がいるから皆がイラつく、自分が存在する意味などないと、家出や死のうとまでしたこともありました。僕は学校がきらいで、聞こえてくるのは悪口や母の鳴き声、怒る声ばかりでした。でも、母の悲しそうな顔を見て、僕は変わることができました。今回、いのちの授業を受けて、改めて命の大切さ、生きていることの幸せを、瞳さんの言葉から実感させてもらえました。いのちの授業を受けてよかったなと思いました』

 

『私は「いのちの授業」を受けてよかったなと思いました。理由は、私は家族や友達に冷たくされることがよくあって、私なんて死ねばいいんだな、いなくなればいいんだと思うことがよくあって、でも、いのちの授業で、生きている意味のない人なんていないという言葉で、自信が持てました。時々、私は生きている価値なんてないと思うことがあるけど、この授業を受けたおかげで、時々ネガティブになる私ですが、ポジティブ思考でいたいと思いました』

『生命はとても大切です。私は嫌な事があると、逃げてて、自殺しようと思ったこともありました。しかし、瞳さんのスピーチを聞くと、生きたくても生きられない人がいることが分かり、ちっぽけな理由で生命を落とそうとしていた私が、とても未熟なことが分かりました。瞳さんは本当にすごいと思いました』

『私は一度、生きようか、命について迷ったことがありました、いきなり道路に飛び出しても、車は来なかったので、今は死ぬときじゃないんだと思いました。でも、今日、若尾先生の話を聞いて、その思いがどれだけ間違いであり、いけなかった心であることを知ることが出来ました。迷ったことはずいぶん前のことですが、はっきり覚えています。とても苦しかったです。でも、今日、若尾先生の話を聞いて思いました、もうそんなことは二度と思いません。もし、一度、このようなことを思ってしまいそうになったときは、今日の話を思い出そうと思います。たくさんの人からもらった命を大切にして、生きていこうと思いました』

 

『人から嫌なことを言われたりして、「死にたい」って思ったことが何度かありました。しかし、今日勉強して、重い病気でも、「死にたくない」と思っている人に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。なので、今日教わったこと、「命の大切さ」に感謝したいと思います』

 

『実は手を挙げなかったけど、自分の事が大っ嫌いで顔も嫌いでマスクが外せないくらい自分の事が嫌いでした。親にバレないように、リスクカットをしたりもやっていました。でも、私が一人いなくなることで、子孫をたくさん失うということ、瞳さんの様に、生きたくても生きられない人達がいるということを聞いて、私は馬鹿なことを考えていたんだと気づきました。生きたくても生きられない人の分も私が生きてみようと思えました』

 

『私も今まで、ネガテイブな思考回路に入ると、「私の生きている意味って何だろうか」と思ったりすることがありました。でも、今回の授業を通して、もう二度とこんなことは思わないと決めるきっかけでもあったのが、ひとみさんのスピーチです。自分が苦しんで、周りの人も苦しんでいるのを見ている中で、一生懸命生きようとしている姿はとても尊敬すべき姿だったと感じます。命を簡単に捨てようとは絶対しないと思うと共に、捨てようとする人を見たら、必ず止めようと決めました』

 

『私も何度か、本当に、もうこんな人生嫌だ、無理だ、死にたいと思ったことがあります。この授業をきっかけに、もう一度生きるということ、人生を考えてみたいと思います。そして、病気の方と同じぐらい、明日も生きてやるという強い気持ちを持って生きたいです』

『私は、最初、「別に、命なんていらないじゃん」と思っていました。でも、先生の話を聞いているうちに、「簡単に命なんていらないって、言っちゃダメなんだな」と気づきました。私は、「命があるのは、何か自分にしかやり遂げられないことがあるから、それをやり遂げるためにあるのではないか」と思いました』

 

『先生のおかげで命の大切さが分かりました。私も、いやなことがあると、死にたいなと思うことがたくさんありました。だけど、先生がやってくれた命の授業のおかげで、命ってとても大事なもの、必要なものということが分かりました。もしかしたら、私は心の中で子孫を殺そうとしていたのかもしれません。私はつらい時は自分に手紙を書いています。だけど、大切な人が私には、いるんだと思うと、頑張れます。大事な命、これからも大事にしたいです』

 

『お母さんお父さんが僕のことを一生懸命に育ててくれた僕は、前、イジメにあって、一度ベランダへ行って死のうと思った時があるんです。だけど、昨日の授業を受けてから、やっぱり自分はみんなにとって、大切な友達と親友なんだなって思いました』

 

『私はいつも同じような生活をしていて、いやがらせをされたりする時もあって、何回も「もう死にたい」と思ったことがあります。ですが、「いのちの授業」を受けて、「親が苦労して産んでくれたのに、かんたんに手放す」のはダメだと、今日、気づけました。これからも、がんばって、かんたんに命を手放さないようにがんばります。ありがとうございます』

 

『今回、話を聞いて、命についての考え方が変わりました。私はつい最近まで、自殺しようかと、本気で考えていました。勉強も何もできない自分に怒っていたからです。先生の話を聞くまでは、「どのように死のうか」ばっかり考えていて、毎日が楽しくありませんでした。しかし、今回話を聞いていく中で、ずっとそんなことを考えていた自分が馬鹿々々しくなりました。「命」というのはかけがえのない存在なのだと改めて思いました。若尾先生の話がなければ、私はどうなっていたか分かりません』

 

『私は、命の授業を受けて、今、自分が日常でしていることは、病気の人々にとって、やってみたいこともあることが分かりました。勉強すること、話すこと、絵を描くこと、歩くこと、他にもたくさんの当たり前にしていることは、病気の人々にとっては困難で、「いつか治ったら」という希望を抱いて、毎日一生懸命に生きているということが分かりました。だから、一日一日を大切にして、死のうなんてことは考えずに、これから生きていこうと思います』

『僕は、今までトラブルを起こしたりして、すごく後悔していた時、自分なんて消えてなくなればいいと思ったりで、4回以上自殺を考えていた時があります。しかし、今回、命は自分がただ授かっただけではなく、親が一生懸命を育ててくれたり、親や友人、周りの人の為に頑張れるようにあるんだと、改めて実感しました。自殺を4回以上も考えた自分は、本当の生きる意味、命の尊さに気付いていなかったなと思いました。命は重大な意味があるということを知れてよかったです。人生はつらいこと、楽しいこともあり、つらいこと乗り越えれば、楽しいことがあります。病気の人たちは一生懸命病気と闘い、打ち勝っています。僕もそういう人たちのように、つらいことから逃げずに、堂々と立ち向かっていこうと思いました。僕は、これからの人生は、何が起こるかわからないので、一日一日を大切にし、今回学んだことを絶対に忘れないようにしようと思いました。どんな失敗をしても、「ああ、自分はダメだなぁ」と思うのではなく、「次は気を付けよう」思えるように、強くなっていこうと思いました』

 

『私は自分のことが大嫌いです。死に方を考えたり、自傷行為をよくやってしまいます。”消えてしまいたい”、”生まれなければ良かった”、”生きたかった人が生きて、私が死ねばいい”などと、命を大切にしないで過ごしていましたが、今回の授業を聞いて、考え方を変えて生きてみようと思いました。特に、瞳さんの話を聞き、その気持ちが強くなりました。瞳さんは、辛かったと思うのに、人々の為に文字や言葉にして、とても大切な事を残してくれたと思います。”命”は人と人とを結んでく、とても大切で、温かく、幸せなものなんだと私は思いました』

 

『私は正直、嫌なことがあると、とことん考え込んでしまい、最終的になぜ生きているんだろう、どうしたらこの辛いことを失くすことが出来るんだろうと思い、病気などの人には悪いが、消えたら楽なんだろうという考え方に立っています。死にたいというより、消えたいです。死に対して恐怖と言う感情しかありません。すっと消えて楽になりたいんです。でも、今日、生きている意味を見つけることが出来て、そんな考えは減りました』

 

『たまに、すごく「死にたい」と思う事はありますが、死に対して本気の恐怖を味わったことの無い人が言う資格は全くないと思うし、言ってはいけないことだと思います。命について知っているつもりだった私につもりではなく、本当の命の大切さについて教えて頂き、本当にありがとうございました。学んだことを心に留めて、しっかり生きていきます』

『私は親が好きではなく、家を好きではなく、自分も好きではありません。自分なんかいなくなってしまえばいいのにと、何回も思ったことがありました。でも生きたくても生きられない人がいる。必死に病気と闘っている人の言葉や実際の映像を見て、安易にいなくなってしまえばいいなどと思うのはいけないことだと強く感じました。高校生になると、悩みも増え、いなくなりたくなることばっかりですが、命の大切さ、ありがたみを身にしみて感じました』

 

『私は高校に入学してから。友達とうまくいかなかったり、親とぶつかったり、成績がなかなか伸びなかったり、...。相談できる相手がいなかったので、すべて一人で抱え込んでいました。「死にたい」と思ったことも何度もありました。でも、若尾さんの授業を聞いて、「簡単に死にたいと思ってはいけない。親から授かった大切な命なんだから、些細なことで無駄にしたりせず、自分に自信を持って堂々と生きていこう」と強く思えました』

 

『私は人が怖くて誰とも深入りできない自分を脚色し、演じている。時々、私は「生きていて、こんなに苦しいなら、もうこの世から消えてしまいたい」と思ってしまいます。でも、今回の授業で、命の尽きるその時まで、生きていることの幸せを追い続けた瞳さんの姿を見て、心を打たれました。「私には生きていることの幸せを伝える使命がある」と言っていて、もしかしたら、私と同じ立場の人を、いじめられていることを打ち明けられない人の力になれるかもしれないと思いました。いつか心の要塞から出ていこうと決めました』

 

『私が、本当に死にたいと思って、「死にたい」と発したことが幾度かあった。実際、何か自分にとって嫌な事があった時、その日の夜、自分の部屋にあるはさみで刺して自殺しようとしたことがあったり、高いところから飛び降り自殺をしようと思ってみたりした。しかし、瞳さんの話を聞き、少し嫌な事があったくらいで、簡単に自分の命を捨てようとしていることが、どれだけ意味の無い行為なのかという事に気づいた』

 

『今まで私は、命は大切なものだと教えられてきましたが、何故大切なのかは、はっきりと教えられず、私自身もそのことに興味を持たずにないがしろにしてきました。その為、私は生きていても意味がない、どうせ役に立たないと思うことが度々ありました。しかし、若尾先生は生きているだけで意味がある、価値があると仰いました・・・。これからは幸せを感じて生きて行きたい』

 

『最後、感想を言わせてもらったのですが、動揺してしまいました。なので、今言います。私は一度生まれてこなかった方がいいと思いましたが、今日の授業で決意しました。死なないと』

『私は時々、”死んでしまったらどうなるんだろう”と思ったことがあります。これは小さい頃から思っていたことです。急に涙が止まらなくなるのです。そして、母に聞くのです。”お母さん、何で人間は死んでしまうの?”と言い、怖くなります。”地獄に言ったらどうなるの?また殺されるの”とか。そして”なんか、時々包丁を持って死んでみたくなる”と思い込んでしまったり、正直あります。自分は何もない、良いところがない、”生きている意味ない”と。お母さんやお姉ちゃんを困らせてしまったり、両親を怒らせてしまったり、その時思うのです。でも、若尾先生が教えて下さったお言葉、とても私の胸に響きました。それは、”人間は、一人ひとり価値がある”という事。みんな一人ひとり、必要な人間だということ、深く心に刻みました。こんなに本当の気持ちを伝えるということが、若尾先生初めてです。それほど素晴らしい授業を開いて下さり、本当にありがとうございました』

 上記に、命と向き合った手紙の一部を掲載しましたが、これらの手紙以外に、全国、四百人(直接言葉で伝えてきた子ども達を含む)近い子ども達から、『命を絶ちたいと思っていた。だけど、今回のいのちの授業を受けて、生きる意味、生きる価値に触れることができたので、気持ちを変えて頑張っていく』 という思いが届いております。

 命の普遍的な意義『生きる意味、生きる価値、生きる喜び』に対して、自ら考え、気づき、相互に発言し合う場に触れて頂いたことで、全国の約400人近い子ども達の命を救うきっかけを作れた授業となったと、受け止めさせて頂いております。

 

 全国で多くの子ども達が、普段、表情には出さすことなく命と向き合い、苦しみを持ち続けていることが見えてまいりました。このような中で、全国の多くの子ども達の命を救うきっかけが作れたことに触れ、当授業の存在意義に、今、深い思いを馳せております。

 これからも、子ども達が、命は大切という思いを心の根底に置きつつ、命の存在意義に自ら考え、気づき、そして発信し、共有し合う場を提供し続けてまいります。そして、「なぜ命は大切なのか」、そして「生きる意味、生きる価値、生きる喜び」という命の普遍性に気づいて頂き、命は大切という思いを心に浸潤して頂くと共に、困難な状況に置かれても、自身の命、また他の命を守り続け、命を輝きさせ続ける信念、命の普遍性に気づく力、そして生き抜く実行力を、心の中に醸成し、それらを日常の中で体現化することで、自身の人生を真に豊かなものにして頂く場として、「いのちの授業」を心を込めて継続して参ります。

また、次のような、様々な思いを綴った手紙も全国の子ども達から届いております。その一部をご紹介いたします。

<この授業を広めて欲しい、教えていってほしい>

・若尾さんは、これからも、この素晴らしい授業をたくさんの人たちへ広めていくことを頑張っていってください。

 

・この活動をこれからも続けて、命の大切さを伝えて行ってください。 

 

・瞳さんが闘ったがんとの話は、これからも、他の高校生、中学生、小学生に話してほしいと思いました。

 

・この活動をもっと世界に広めていって欲しいと思いました。

 

・これからも「命の授業」を多くの子どもに、していって欲しいです。

 

・これからも、沢山の人たちに、「命の授業」を通して、命の大切さを教えていって下さい。

 

・若尾さんみたいに、このような話をみんなに伝えてもらえれば、少しでも命の大切さが分かると思います。これからも、こ 

 のようなことを、していってもらいたいです。

 

・これからも多くの生徒に伝えて欲しいです。

 

・私は瞳さんの話を沢山の人に伝えている若尾さんも素晴らしいと思い、これからも、沢山の人に伝えて行ってほしいなと思

 いました。

 

・これからも、私たちのような高校生、中学生など、沢山の人に、命について、沢山の事を感じさせ、当たり前の幸せを教え

 て下さい。

 

・私のように自分で学ぶことが出来る人がたくさんいると思います。これからも沢山の人々に命の大切さ、尊さ、そして瞳さ

 んが伝えたかったことや、ものなど、沢山の事を講演を通して世界の人々に伝えてもらいたいです。 

 

・私はこの命の授業がいろんなところで広まってくれたらいいなと思いました。そしたら、当たり前の日常の大切さに気づく

 ことが出来ると思ったからです。

 

・自分の命は自分だけのものではない事をいじめを意図的にやっている人に教えてあげたら、自分のやっていることをすぐに

 反省し、これからの行動をすぐに変えると思います。しかし、毎年、自殺者が多くいるということは、この大切な事が伝わ

 っていない、分かっていないという事です。全国の人たち全てに伝えることは不可能に近いかもしれませんが、私は伝えな

 ければいけない、そうすべきことだと強く思います。だからこそ、この授業をずっと続けて欲しいし、伝えて行く人がどん

 どん増えて欲しいです。

<この授業のことを広めていきたい>

・私は命の授業のような話をたくさん話して広めていきたいし、そうすれば、今の世の中、少しは変わるのではないかと思い

 ます。

 

・今回の話を自分のものにするだけでなく、友達や周りの人達に広めていきたいです。

 

・これからも、瞳さんのスピーチから汲み取った、心で感じたものなどを、生きる希望を失いかけている人達、生きることに

 つかれている人達、自殺と言う選択が頭によぎっている人達に伝えて行かなければならないなと思いました。

 

・若尾さんに来て頂いて、命を大切にしよう、猿渡さんのスピーチを知らない人に伝えて行こうと思います。今日で改めて学

 校の皆と命について考えることはないと思います。でも、私の子どもが生まれた時にでも、しっかり命について伝えて行け

 たらいいなと思いました。

 

・私は来年から社会人の一部として生きていく中で、命の大切さを周りの人に伝えて行きたいと思います。自分の子どもに

 も、命や人を大切にして行く心や気持ちをしっかり持って欲しいと思いました。

 

・今回、この講話を聴かせてもらい、ありがとうございました。周りの人に、もっと伝えて行きたいです。

 

・今日、若尾さんから聞いた話を忘れることなく、家族に伝えたいと思いました。そして、普段あまり言えないけど、「あり

 がとう」と言いたいと思います。

 

・今回学んだことを、いろいろな人に伝えていきたいなと思いました。

 

・この授業を受けた私たちが、多くの人に、命の大切さを広げていきたいと思います。

<苦しんでいる人を助けたい>

・今回の話を聞いて、とても自分の人生をちゃんと見直そうと思いました。しっかりと理解することができました。苦しんで

 いる人がいたなら、手を差し伸べたいと思いました。本当に今回の話を聞いて、自分の考え方が360度変わりました。

 

・私は今まで、自分の事を第一に考えて行動していました。それを考え直して、改めるきっかけになりました。なので、今回

 の命の授業にとても感謝しています。今もどこかで、人が苦しんでいると思います。でも、まず自分でやれることを見つけ 

 て、してみようと思います。私はこの授業で、自分を考え直すことが出来ました。私はこれから、苦しんでいる人を見過

 ごすことなく、助けられるようにします。

<命の考え方が変わった>

・私の口癖は、「幸せになりたいなあ」です。しかし、この講演で、「幸せの捉え方が180度変わりました。震災 を経験した子

 たちのメッセージ、瞳さんの力強い言葉、一つ人一つが、「幸せ」とは生きていること」というのを教えてくれました。生

 きていることは、あまりに当たり前すぎて、感謝や幸せを感じたことはありません。瞳ちゃんの壮絶な人生を聞いた時、

 今、こうして生きていることに感謝しましたし、「生きているって凄い」という事に気づかされました。

 

・自分の考え方が何もかも今回の授業によって壊された。でも、自分の中に在った概念が今回を機に変化するかもしれないと

 思った。「命」と「言葉」、この二つだけで、自分の世界観が大きく変化したし、もう一度、真剣に自分と向き合って何を直

 せばいいのか、何を意識したらいいのかなど、目的を持って行動したりすることが大切だと気づかされた。

 

・命の考え方については、授業を受ける前と受けた後では、とても変わりました。授業を受ける前は、「命は自分だけのも

 の」という考え方だったのですが、授業を受けた後は、「命は自分だけのものじゃなくて、周りの人と共有していくもの」

 という考え方に変わりました。自分の一時の感情で、自殺したりしないようにしていきたいと思いました。

 

・私は高校に入ってからすぐに、文部両道という目標を掲げ、部活も勉強も頑張ってきました。しかし、双方、なかなか思う

 ように進まず、学校に行くのをためらうようになりました。私は自分の事を嫌になっていきました。すべてを投げ出して、

 楽になりたいと何度も思いました。なぜ生きているんだろう、何のために生きているんだろうと、ずっと悩んできました。

 しかし、今回の若尾先生の授業を聞いて、考えが少し変わりました。私は自分の命を自分のものだと思っていましたが、頂

 いたもの、大切にしなければいけないなと思いました。

 

・私が「命の授業」を受ける前と受けた後では、生きることや命に対する考えが変わったのではないかと思います。授業を受

 ける前の私の命に対する考え方は、「大切なもの」や「ひとつしかないもの」と言ったものでしたが、授業を受けた後の私

 の考え方は、「生きたくても生きられなかった人の分まで一生懸命生きよう」と言うものに変わっていました。

 

・僕は最近のいじめによる事件を痛ましく思っていましたが、心のどこかで死ぬのは自分自身の責任だから、特に問題ないも

 のと思っていました。若尾さんの話を聞いて、考え方が変わりました。人が自ら命を絶つと言う事は、それまでの両親や、

 多くの血縁の連なりを絶つと言う事になり、自分だけの命じゃすまないんだと思い、命が今まで考えていたものより重大な

 物ごとになりました。

<感謝ということ>

・私たちはまだ高校生で、自分のことを考えていることの方が多いと思います。けれど私が生きていられるのは、父と母がい

 て、この世に生まれてこられたこと、十八年間育ててくれたからです。普段は親に冷たく接してしまったり、喧嘩をしてし

 まうなど、ぶつかることは何度かあっても感謝の気持ちを伝える機会は殆どありません。照れくさくてなかなか言いづらい

 ことも、誕生日や父や母の日だけでも伝えるようにしたいと思いました。

 

・照れくさくて、親になかなか言えなかった感謝の気持ちを、この授業を通して、「言わなきゃ」と気づかせてもらいまし

 た。本当にありがとうございました。これからは、日々の幸せな生活に感謝し、生まれたことに感謝し、感謝の気持ちを忘

 れず、過ごしていきたいです。

<生きる意味について答えが分かった>

・私の身近な友達に、よく死について話している子がいて、「自分の生きている意味が分からない」、とか、「死んでしまいた

 い」と言っている子がいます。なんて答えていいか分からず、あいまいな返事をしていました。ですが、今回の授業を聞い

 て、学んだことが沢山あり、その子に対しての答え方が分かった気がします。その子を元気づけてあげたいと思います。

 

・「命」という題材の話は今までに沢山されてきたし、学んできました。又、学ぶために、いのちは本当に大切なものなんだ

 なと感じていました。でも、今回の授業でそれは確信に変わりました。今回の授業は、自分で「命」とはどんなものか、

 「生きていくこと」とはどんなことか、理解することが出来ました。

<自己反省>

・祖父の事があってから命について改めて考える時間が前よりも増えてはいたが、最近は何気なく、一日を過ごしてしまっ

 て、なんか、今日を無駄にしてしまったなと感じてしまう日々もしばしばある。今回の授業で再度、自の生き方を見つめ直

 してみようと考えることが出来た。

 

・私は中学の頃いじめをしていたことがありました。そして自分なりに悔い改め、命の大切さなどを学んだつもりでした。し

 かし、今日のスピーチを聞いて自分の考えがとても甘かった事に気付きました。

 

・私は実は普段、「死ね」とか、発言してしまったりしている事がある。だけど、生きたくても生きられない人たちの事を考

 えると、最悪な事をしてしまっている自分がバカだと思えました。

 

・いじめをしてしまっているかなと、たまに不安になる。

 

・自分も正直、小学生のときに人をいじめてしまったことがあり、その子のことを無視したり、叩いたりしてしまいました。

 みんながやっていたから自分もつられてやってしまいました。私の周りにはいじめられている人やいじめている人を見かけ

 ませんが、もし、そのような人を見つけたら、先生や家族に相談して、自分は何をなすべきなのかを考えようと思いまし

 た。

 

・私は今まで「いのち」について考えたこともなかったですし、毎日、何となく生きて来ました。だから私は、人をいじめた

 ことも、逆にいじめられたこともあります。「命」の大切さなど考えず、いじめられたらやり返してやろうと言う気持ちや

 自己満足の為にしていました。今、思い返して見ると、とても馬鹿なことをしていたんだなと後悔しました。人のことをも

 っと考えることができたらなとも思いました。

<虐めを止める、虐められている人を見たら救う>

・自分がなぜ生きて行くのかをしっかりと考えて相手の事を思いやり、もし、いじめられている人がいたら、それを見過ごす

 のではなく、怖がらずにいじめを止められるようになります。

 

・いじめで人を気付け、命を奪ってしまってはいけない。誰かが、“いじめ”に気付き、手を差しのべられれば、救える可能性

 があると思う。私はその誰かになりたい。

 

・今、問題になっているいじめで命を絶つ人たちがたくさんいる中、そのニュースに真剣に向き合うことができていなかった

 ので、しっかり向き合わなければいけないと思ったし、もし、いじめを見てしまったら、それを止める勇気を持ちたいと思

 いました。

 

・イジメられている人を守ってあげられる人は、ごくわずかだと思います。自分自身がこんな行動を出来るようには思えませ

 ん。そこに必要なことは「勇気」だと思います。例え一人ではできない、言えないことでも、他の誰かと注意することは、

 一人よりも、心強くできると思います。自分も例え、一人で出来ない事であろうと、他の人の力を借りてでも、誰かの為に

 必ず行動していこうと思いました。

 

・自殺を起こしてしまう大きな要因の一つがいじめだと思う。いじめをなくすには周りの誰かが気づいてあげることが必要

 だ。気づいてあげるだけでなく、その気づいた人が行動を起こすこと。それはとても勇気がいると思うし、大変な事だと思

 う。でも、誰かが行動を起こさないと、いじめは無くならない。だから、私はいち早く気付き、行動を起こせる人になりた

 い。

 

・自分だけでなく、仲間が苦しんでいることがあれば、進んで助けてあげたいです。

 

・いじめを見て見ぬ振りは絶対にしてはいけない。いじめられている子に手を差し伸べてあげることが、私に出来ることで

 す。もちろんそんな環境を作らないことが一番ですが、自分の出来ることを精一杯やって、一つでもなくなるように、生活

 していきたいです。

 

・この学校でも、いじめとか、在るかもしれないけど、見過ごしたりしないで、止めたり、助けられるようにしたいです。

 

・どこか人と違うだけでいじめられてしまう、個性が潰されて生きていると私は思います。人に好かれるように努力しても、

 うまくいかない人がいじめられたり、見た目やコンプレックスの事でいじめられたり、どうしようもない人がこの世界には

 沢山いると思います。私はそんな人たちを助けたいと思いました。

 以上、全国約4万人の子ども達から頂いた、様々な視点で命に触れた手紙の一部をご紹介いたしました。

 

 これからも、子ども達の「心」と「命」に触れ、命の普遍的根幹である“生きる意味、生きる価値、生きる喜び”に、子ども達が自ら気づき、そして、本来、命への素晴らしい思いを有した自己であること、そして、それぞれが有している生きる力を、子ども達の心の中から引き出すことで、それぞれが、気づく場を提供したいと思っております。

​この体現化を通して、自身が既に心に内包している自己肯定感に、触れて頂く場としていきたいと思います。

 

  ”生きる力、心の強さ、自己肯定感” を教え、伝えるのではなく、

             子ども達の心の中から引き出すことで、自ら自身の命の意義に気づく授業に!! 

 

 そして、

  命を教え、伝え、理解させる授業から

     →子ども達自らが、命の普遍的意義『生きる意味、生きる価値、生きる喜び』に気づく授業に!!

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