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いのちの教室への思い

 私たちは、社会生活を営む上で、今、多くの課題に直面しております。自然環境破壊、社会インフラの保障、格差拡大等の社会不安、更には、虐待、DV、ネグレクト等の命を軽視する社会的事象が多々、顕在化しております。他にも多くの社会的課題が内在する現状に在って、私たちはこれらの課題と、どう向き合って行かなければならないのでしょうか。今、我々一人一人の課題として、共有することを求められていることを強く思います。そして、私は思います。「何故、様々な社会的課題が創出されてくるのか」と。私はこの思いに一定の答えを見出したいと思い、長い間、人の心、そして命に対して、身近に触れる活動に携わってきました。

 

 そして、私なりの結論を導き出すことができました。それは、様々な社会的課題を創出しているのは、人間の”心の在り方”だということです。当たり前のような思いかもしれませんが、しかし、”心の在り方”が全ての事象を創出する真の要因だと受け止めた時、社会を変革する術に気づくことができるのではないでしょうか。私たちは、今、「心」を変える勇気を持つことが強く求められる環境に置かれていることを認識せざるを得ません。「心」という言葉をより具体性を持った別の言葉で言い表すと、「意識」という言葉が浮かんできます。「心」を変え、「意識」を変える可能性を内在した社会を創出することで、社会の根幹から変革が始まります。これを、より具現化するために必要となるのは、正に、「教育」であると受け止めております。私は、よりよい社会実現のための、言い換えれば全ての人が生きる意味に触れ、生きる幸せを感じる「教育」が社会の全ての根幹にあることで、「真の幸福を見出すことができる社会が創出される」、と捉えさせて頂いております。そして、更に大切なことは、「教育」の根幹に、環境、人権、貧困、等々の社会的課題に共通して内在する「命」を置くということです。「命」を視点とした教育が施され、その結果、「心」そして、「意識」の在り方が変化していくと、私は心から信じております。

 このような思いに至った背景には、私の生い立ちが深く関わっているように思います。私が10代の頃、大切な家族を3人続けて亡くしております。家族の死と向き合う体験をしているのです。人の死がどのような意味を持つのか、生きることと重ね合わせ、子どもながらその意味に触れることが出来ました。又、家族には、目に障害を持った祖父(私が幼い頃から、私が目の代わりになって連れ添っていた)、又、認知症を患った曽祖父(母親がいつも介護を行っていた)がいたことで、弱い立場に立つ人を支える心に目覚めさせてもらったことが大きな要因となっているように思います。

 又、企業に在籍している時に、心身の悩みを抱えている社員と長い期間の触れ合いを通じて、人の様々な心の在り方に振れながら、私自身が出来る範囲で支える活動を行ってきたことも、一つの要因となっております。

 私は上述しました様に、長い間、人の心、そして命に、身近に触れる活動に携わってきました。その経験から、これらのことに気づかせて頂いたのであります。正に、”心の宝物”を多くの方との出会いから頂いてきた思いです。このような思いに触れたことから、私自身の「心」、そして「意識」が変化し、醸成され、「いのちの授業」が生まれてきたのです。

私が、「いのちの授業」を実践する中で、8万人近い子ども達から気づかせて頂いた、最も大切な「命」への思いを下記に記します。

 

<子ども達からの学び>

 「いのちの授業」を立ち上げた当初は、「命」の大切さを理解してもらおうと、こちらの思いを一方向的に、又、一貫して言葉を主体に伝えておりました。一方的な講演形式で行っていたのです。その中で、授業を受けた子ども達から手紙を頂いておりましたが、殆どの子ども達が、『「いのちの受業」を受けて、改めて「命」の大切さが分かった』と、一律的な思いを綴っておりました。個々の思いを深く綴った手紙が殆どありませんでした。

 

 この時、子ども達から大切な気づきを頂きました。それは、一方的な講演形式で、「命」を教え、言葉で伝え、そして、理解させようとする授業を行っていたことで、子ども達の心の中に、こちらの思いが届いていなかったと言うことです。更に次の様な気づきを持つことができたのです。子ども達が、命に関しては完璧な存在であること(既に子ども達は、幼い時から命へのそれぞれの貴重な思いを有しているということ)を受け止め、本気で向き合えば、必ず心の中からそれぞれの思いを自ら引き出してくれる。大切なのは、教え、理解させるのではなく、子ども達のそれぞれの「命」への思いを受け止めること、子ども達の心の中から引き出す場を提供すること、そして、「本気」で語ること。

 

 だからこそ、この授業には型通りのマニュアルはありません。更に、子ども達と触れ合うたびに、子ども達からの気づきを授業の中に浸潤させることで、授業そのものが成長していく、正に“子ども達から学ぶ授業”、そういう次元で考えないと、子ども達の心の中に入っていく授業にはならないと認識させて頂きました。この思いを、次の様に表現させて頂きます。

私が気付かせて頂いた宝物であります。

 

それは、

       ”命は、

         知識として教えるものではなく(知識から、知恵に)、

             言葉のみで伝えるものでもなく(言葉のみから、心の触れ合いに)、

                  そして、頭で理解させようとするものでもない(理解から、自らの気付きに)“

ということであります。

 

 語り部の一方向的な話では、上述した”三つの大切な思い”が消えてしまいます。その意味で、子ども達の心の中から引き出していく”命”、これを大切にする場を提供することに思いを注いでおります。その意味では授業ではなく、子ども達に参画して頂き、対話を中心とし、一緒に創造していく場であり、自ら考え、気づき、発言していく場であります。

詳細につきましては、「いのちの授業・メッセージ」のページでご覧ください。

 

上述した意識を持ちつつ実施した命(いのち)の授業に触れた子ども達からの手紙(平成30年4月1日~)を以下、記載いたします。

どうぞ、ご覧ください。

 
                  【子ども達からの手紙】
                        (掲載については学校側及び実施機関のご了解を頂いております)
 
(小学校)
・授業の初めに、先生が、「命は教えるものではなく、伝えるものでもなく、気づくもの」だと言った時、僕は少し、びっくりしました。なぜなら、今までの命の授業では、パネルなどを使って、命の大切さ、命のすごさなどを、「教える」授業だったからです。僕は、前まで、命とは何なのか、なぜ大切なのか、よくわかりませんでした。でも、この「教えない、伝えない」の授業で、少し命について分かったと思います。

・「命の授業」を聞いて、僕たちが、当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではないという事に気づきました。世界には病気と闘っている人がたくさんいるので、僕はこれまで、当たり前にやっていたことに対する考えが変わりました。

・「どんな人間でも生きる価値のない人間はいない」、私はその言葉が胸に刺さりました。朗読、音読、思考による「いのちの授業」に、私はとても感動しました。生徒たちに考えさせるという今回の授業はとても良かったです。人生の長い長い道のりを乗り越えるためには、強いハートが必要です。そのハート(いのち)を強くしてくださる授業でした。これからは、親や神に感謝しながら人生を歩んでいきます。

・私は、最初、命について、「教えられる」、「伝えられる」ものだと思っていました。しかし、本当は「自分で気づく」ことが、命について知る一番良い方法だと分かりました。 

​・命の授業を受けて、僕が気づいたことは、誰にでも、命の大切さは、伝えたり、教えたりしなくても、最初から分かっているという事です。その忘れていた命の大切さを思い出させてくれて、ありがとうございました。


(中学生)
・小学校からよく言われていたこと、話し合いをしたことだったけど、今回はいつもと違いました。一つしかない命、大切にしないと、といつも言われてきましたが、それだけじゃないことが分かりました。命はこの一瞬の全ての時間であり、「生きている」ということなんだと思いました。

・僕は、講演のやり方がすごいと思いました。ただ、一人でずっと話しているんじゃなくて、いろんな場面で生徒に意見を聞いたりしてたから、最後までみんなしっかり聞けたんだと思いました。普通は2時間も話を聞いていたら、しっかり聞いているつもりでも、一日後には半分くらい忘れているのではないでしょうか。でも、全然忘れていないです。

・お話を聞かせて頂いて、「いのちとは教えるものではなく、伝えるものでも、理解させようとするものでもない」というフレーズが一番心に残りました。今まで聞いた命の話は、「命とは大切なものだから、大事にしないといけない」ということを教えるものばかりでしたが、授業でのお話はそうではなくて、そんな言葉は使わずに、命の大切さを感じられるものだったと思います。

・私が知っている講演は、一方的に話して、間がなくて途中から何を伝えたいのか分らなくなってしまうものでしたが、今回は、「私が」自分の命の既に持っていた思いを引き出すというもので、参加できるものだったので、自分も「一緒に」考えることができました。

・生徒が協力して、全員が参加するというのは、すごく良かったと思います。初めはちょっとわかりませんでしたが、だんだんと理解していきました。普通では教えてくれないことや、命の大切さを教えていないのに、充分わかった気がします。



(高校生)
・今まで、何回も人権の授業を受けてきて、何か自分の中で、納得できなかったりすることばかりでした。「命は親からもらったもの」、「かけがえのないもの」、そればかりだったからです。正直それに辟易して、考えることを放棄していました。自分から動くということもしていませんでした。今日の授業で、誰かからではなく、自分から、ということがとても印象に残りました。今まで私に出来なかったこと、しようとせず逃げていたこと、そのものだったからです。でも、今日それを知ることができたから、変わりたいです。変われるように努力します。

・この講話を通して、私の考える命の大切さというものは、とても軽かったという事を気づかされました。大切なのはわかっていても、なぜ大切なのか分かっていなければ意味がないと思います。だから私はたった一つの命でも、それは一人だけの命ではないことを忘れず、自分の命も、自分以外の命も大切にしていきたいと思いました。

・生徒の意見を尊重し、生徒が参画できる授業だった。正直、今まで受けてきた命の授業は、先生が、命は大切だと言い続けて終わるような、一方的なものばかりで、今回もまた、一方的で、ひたすら先生の考えを聞くというような講演なのかと思っていました。しかし、実際は全然違って、私たちの意見を尊重してくれたり、生徒が積極的に参加できるような形式だったので、色々な事を考えなかがら、講演を聞くことができました。

・命の大切さなんて、皆分かっていることではないのか、私はそう思っていました。先生の授業では、今までの講演会と違い、先生の考えていること、思っていることを私たちに伝えるのではなく、先生が今までやってきたことを聞き、そこから私たちが何かを発見するというものでした。だから自分なりに命について考えることから始めました。 

・最近では、命について知る機会がとても多くなり、私が小学校の時にも、似たような授業があり、命の大切さについて知ることができました。だけど、今思えば、命の大切さだけを知っただけで終わっていて、命の重みについて知ろうとしていなかったと思いました。特にそう思ったのは、世代のところで、自分が死ぬだけで、その後に生まれてくる命もなくなってしまうという話を聞いて、初めて命の重みについて考えさせられました。


また、次のような命と向き合っていた手紙が、全国から数多く
届いております。その一部を紹介いたします。


 

『家族との嫌な事や友達との嫌な事が重なり、全てが嫌になり、リストカットをしていました。学校でもトイレで手首を切っていました。そんな自分が嫌になり、今でも怖くなってしまいます。でも、「いのちの授業」を聞いて、私が生まれた時に、お父さんやお母さんに生きる希望を与えていたことが分かり、誰しも掛け替えのない存在という事が分かり、ずっと感じていた怖さがなくなりました。“辛いことがあっても自分を大事に思い、生き続ければ、いつかは乗り越えられる”という言葉にすごく心を打たれました。これから先、嫌な事があっても、「私は生きていいんだ」と思い、自分を大切にしていこうと思いました』

 

『最後、感想を言わせてもらったのですが、動揺してしまいました。なので、今言います。私は一 度生まれてこなかった方がいいと思いましたが、今日の授業で決意しました。“死なない”と。今日は本当にありがとうございました』

 

『私は人間の悪いところばかり見て生きてきていました。「この人、生きてる価値ない」とか、平気で最近思ってしまうようになってしまいました。さらに、「私って、何のために生きてるんだろう」って、時々思ってしまいます。でも、このいのちの授業を受けて見て、私より苦しくてつらい病気と闘っている人がいるのに、私は何を考えていたのだろう、と思い直しました。私を変えてくれてありがとうございました』

 

『私は生きることが正直よくわからなくて、毎日ただ単に過ごしていました。たまに周りの環 境とか全てが嫌になって、逃げたくなる時も沢山あります。生きるのが辛くなる時があります。でも昨日の話を聞いて、生きることの凄さが分かりました。壁にぶつかってもどんなに辛くても、生きていなきゃダメだって気づかされました。どれだけの奇跡が重なって自分が生まれたんだろうって考えると、この人生、誰にもまねできない唯一無二の、ものすごい生き方をしてやるって思えました』

 

『僕は幼いころから気が弱く、いつもいじめられる側で、自分がいるから皆がイラつく、自分が存在する意味などないと、家出や死のうとまでしたこともありました。僕は学校がきらいで、聞こえてくるのは悪口や母の鳴き声、怒る声ばかりでした。でも、母の悲しそうな顔を見て、僕は変わることができました。今回、いのちの授業を受けて、改めて命の大切さ、生きていることの幸せを、瞳さんの言葉から実感させてもらえました。いのちの授業を受けてよかったなと思いました』

 

『私は「いのちの授業」を受けてよかったなと思いました。理由は、私は家族や友達に冷たくされることがよくあって、私なんて死ねばいいんだな、いなくなればいいんだと思うことがよくあって、でも、いのちの授業で、生きている意味のない人なんていないという言葉で、自信が持てました。時々、私は生きている価値なんてないと思うことがあるけど、この授業を受けたおかげで、時々ネガティブになる私ですが、ポジティブ思考でいたいと思いました』

 

『生命はとても大切です。私は嫌な事があると、逃げてて、自殺しようと思ったこともありました。しかし、瞳さんのスピーチを聞くと、生きたくても生きられない人がいることが分かり、ちっぽけな理由で生命を落とそうとしていた私が、とても未熟なことが分かりました。瞳さんは本当にすごいと思いました』
 

『私は一度、生きようか、命について迷ったことがありました、いきなり道路に飛び出しても、車は来なかったので、今は死ぬときじゃないんだと思いました。でも、今日、若尾先生の話を聞いて、その思いがどれだけ間違いであり、いけなかった心であることを知ることが出来ました。迷ったことはずいぶん前のことですが、はっきり覚えています。とても苦しかったです。でも、今日、若尾先生の話を聞いて思いました、もうそんなことは二度と思いません。もし、一度、このようなことを思ってしまいそうになったときは、今日の話を思い出そうと思います。たくさんの人からもらった命を大切にして、生きていこうと思いました』

 

『人から嫌なことを言われたりして、「死にたい」って思ったことが何度かありました。しかし、今日勉強して、重い病気でも、「死にたくない」と思っている人に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。なので、今日教わったこと、「命の大切さ」に感謝したいと思います』

 

『実は手を挙げなかったけど、自分の事が大っ嫌いで顔も嫌いでマスクが外せないくらい自分の事が嫌いでした。親にバレないように、リスクカットをしたりもやっていました。でも、私が一人いなくなることで、子孫をたくさん失うということ、瞳さんの様に、生きたくても生きられない人達がいるということを聞いて、私は馬鹿なことを考えていたんだと気づきました。生きたくても生きられない人の分も私が生きてみようと思えました』

 

『私も今まで、ネガテイブな思考回路に入ると、「私の生きている意味って何だろうか」と思ったりすることがありました。でも、今回の授業を通して、もう二度とこんなことは思わないと決めるきっかけでもあったのが、ひとみさんのスピーチです。自分が苦しんで、周りの人も苦しんでいるのを見ている中で、一生懸命生きようとしている姿はとても尊敬すべき姿だったと感じます。命を簡単に捨てようとは絶対しないと思うと共に、捨てようとする人を見たら、必ず止めようと決めました』

 

『私も何度か、本当に、もうこんな人生嫌だ、無理だ、死にたいと思ったことがあります。この授業をきっかけに、もう一度生きるということ、人生を考えてみたいと思います。そして、病気の方と同じぐらい、明日も生きてやるという強い気持ちを持って生きたいです』

 

  上記に、命と向き合った手紙の一部を掲載しましたが、これらの手紙以外に、全国、四百人(直接言葉で伝えてきた子ども達、数十人含む)近い子ども達から、『命を絶ちたいと思っていた。だけど、今回のいのちの授業を受けて、生きる意味、生きる価値に触れることができたので、気持ちを変えて頑張っていく』 という思いが届いております。

 

 全国で多くの子ども達が、普段、表情には出さすことなく命と向き合い、苦しみを持ち続けていることが見えてまいりました。このような中で、全国の多くの子ども達の命を救うきっかけが作れたことに触れ、当授業の存在意義に、今、深い思いを馳せております。

 

 これからも、子ども達の「心」と「命」に触れ、“生きる意味、生きる価値、生きる喜び”に、子ども達が自ら気づき、そして、命への素晴らしい思いを有した自己であること、そして、本来有している生きる力に気づく場を提供したいと思っております。

 

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