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  • 執筆者の写真若尾

令和5年11月10日(金)、竜王東小学校で、4年生、5年生、6年生、109名に、「いのちの授業」を行ってきました。

令和5年11月10日(金)に、山梨県甲斐市立竜王東小学校で、4年生、5年生、6年生、109名に「いのちの授業」を行ってきました。


 南東には、富士を望み、西には鳳凰三山が連なる、周囲を山に囲まれた甲府盆地の北西部に位置する学校です。


学校教育目標を、

  ・よく考え、進んで学ぶ子ども(自主性、創造性)

  ・きまりを守り、思いやりのある、心豊かな子ども(社会性、道徳性、情操性)

  ・じょうぶでたくましく、最後までやりぬく子ども(健康な心身、強い意志)

に置き、

 地域や保護者の信託にこたえるための児童に寄せる「期待像」として、この目標を通して、調和の取れた人間性豊かで、主体性に富んだ児童の育成に日々努力されている学校でした。


当学年には、当法人で展開する90分の基本授業、

 ・何気ない日常にある命と触れ合うことのできる人、モノ、出来事に、気づくための

  心の窓を開く場を、

 ・13歳でがんを患い亡くなった少女が残した手記に触れ、生きる意味、生きる価値、

  そして、生きる力について、自ら考え、気づき発言する場を、

 提供する授業として行いました。

子ども達からは、学年に偏ることなく、心に残るような素晴らしい発言が数多く語られました。


 当授業は、命、道徳、人権等の心を通して触れる事項に対しては、

  ”教えるものではなく、伝えるものでもなく、理解させようとするものではない”

という視点を基軸に、講演形式ではなく、対話の場を数多く設けることで、子どもたちが自ら考え、気づき、発言する場として触れていただく授業としております。

この視点に立った授業に触れて頂いたことで、子ども達からは素晴らしい命への思いが手紙で綴られてきました。ご覧ください。


<手紙>(掲載につきましては、学校側のご了解を頂いております)

 

 私は、1日1日を大切にしていきたいと改めて思いました。何気ない日常も大切な時間なのだと思いました。


 特に心に残った言葉は、「誰一人として、生きる価値のない人なんていません」という言葉です。私も生きている価値のない人なんていないと思います。なぜなら、お母さんがとても頑張って生んだ、たった一つの命だからです。だから、1日1日が生きられて、とてもうれしいと思いました。

  

 猿渡瞳さんの骨肉腫のガンの話をしてくれたとき、自分じゃないからいいや、と思いました。でも、先生が、「誰一人として生きる価値のない人なんていません」と言った時、さっきの気持ちが違う気持ちになりました。しかも、最初思っていた命の話なんて知っていると思ったけど、もっと大事なものだと分かった。


 話を聞く前は、「命があるという事は、大切なこと」としか思っていませんでした。…。この授業の話を聞いた後、私は、「命があるから頑張れる、命があるから笑える」という意見に変わりました。


 今日の話は、正直、つまらないかも?と思っていたけれど、他の一方的に話す授業とは違い、一人ひとり考えるような授業で、真剣に考えることができました。私は、いのちの授業で、命を軽く見ていたということに気づきました。命は、生きていくために大切だということは、具体的にどういうことなのか、真剣に考えることができました。


 時々、私は生きている価値なんてないと思うことがあるけど、この授業を受けたおかげで、時々ネガティブ思考になる私ですが、ポジティブ思考でいたいと思いました。


 僕は、今まで数々の人権やいじめの授業をしてきました。でも、みんな一方的なものでした。だから、今回の命の授業も、一方的なものだと思っていました。でも、「みんなでつくる授業」と聞いてから、僕の考えは変わりました。そのおかげで、僕は聞き飽きず、授業を受けることができました。


 私は、正直言うと、あまりこの授業に期待していませんでした。いろんなメディア・本から、命の大切さについては、もう十分なほど聞いていたからです。だから、私は、今回のこの「いのちの授業」も、どうせ、同じようなことだろう、そう思っていました。しかし、実際は、一方的に命は大切というのではなく、私たちの意見を聞き、一緒に作っていく。そういう授業でした。手を上げる、すなわち自分の意見を言うことが苦手な私には、少し困ってしまうようなところもありました。けれど、ほんどのところは、嫌々ではなく、自分で参加したいと思うような授業でした。


 僕は、命はどのようなものか。どうして大切なのかを知ることができました。僕の命は、日本の未来を支えていく人を生み出すためにある、重大な命なのだと思いました。


 私が分かっているつもりだった命の大切さ、それは頭で考えただけの大切さでした。先生は、最初仰いました。「頭ではなく、心で考えてください。この授業の主役は君たちです」との言葉通りに、心でいろいろなことを考えました。


 最初は「いのち」は自分にとってどんなものなのかピリッとしなくて、でも、最後の方で、「いのち」はかけがえのない、そして大切で一生の宝物ということになりました。私は12年間もの間、その一生の宝物を無駄にしてきていたのだなと気づくと、今まで、何をしてきていたのだろうと思いました。このことに気づかせてくれたことに感謝します。


 私も、よく「死ね!」と言ってしまっていたけれど、これからは、友達を大切にし、そのようなことを言わないようにしたいと思います。そのような言葉を使っている人を注意して、瞳さんの目指す平和な世の中に近づけるよう、努力したいと思います。



如何でしょうか。

 今まで一方的な授業(講演)に触れてきた多くの子ども達、今、自ら考えき、気づき、発言することの意義を授業の中で、見出しています。頭では分かっていた命の大切さ、分かっていたつもりの命の大切さ、心の奥深くで気づいていなかった子ども達の姿が、授業に触れたことで大きく変容してきました。これに気づいた子ども達の素晴らしさに触れることができたことに感謝したいと思います。


 子ども達が自ら考え、気づき、発言する場を提供することで、子ども達は心の窓を自ら開いていきます。全国、延べ750校で授業を行ってきた経験上、この時、真の「いのちの授業」が出来るものと確信しております。教え伝えようとする場では心の窓が開いていきません。子ども達からの手紙からも、そのことが読み取れるのです。


 子ども達に教え伝えようと、一方的な命、道徳、人権講演に触れることで、元々、子ども達が心に内在していた命への思いが引き出されないまま、子どもたちは教えてもらったことを自身の命への思いに置き替えてしまうのです。それらのことが手紙から読み取れることができます。子ども達は、このような講演に数多く触れてきていることによるものと思います。私自身も、子ども達が感じた思いを持つような場に、いくつか接したこともあります。

子ども達は幼い存在ではなく、既に、心揺さぶるような命への思いを、心の中に持っている存在にも関わらず、教え伝えようとしてしまう



一部の授業、講演の場に複雑な思いを持ちます。

 

 命、道徳、人権について、子ども達に大人の価値観を伝えようとするのではなく、まず、子ども達の心の中から、心の思いを引き出す場を提供する機会が、最も重要なこととして、設けられていく社会であって欲しいと願っております。


 これらのことを改めて実感させて頂いた子ども達、そして、竜王東小学校様には、心から感謝申し上げます。自ら考え、気づく、命の力を持った素晴らしい子ども達でした。


 

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